たそがれ 団塊 熟女のおいろけ@団塊の黄昏世代
いい女って・いい女の条件
もてる女になりましょう


菅原道真

ジェラシーと出世:道真 危うし 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 さて宮中では最初に少内記となり詔勅の起草に当たり,民部少輔に転じて民政のことを司りました。貞観19年33歳の時式部少輔となり,文章博士を兼ねました。この二官は父祖共任ぜられたものであり 当時の学者の最高の名誉としたところのものであったようです。しかし学者が宮中にはいるのはどちらかというと嫌われて 菅原道真のように 博士の資格を持つ官は風当たりの強いものであったようです。当時は互いに熾烈な競争して相手をそしり,人を失敗に陥れるようなことがありました。スキャンダルをリ−クする官がいるのは 今だけではありません。   

菅原道真

国家試験:成績優秀な道真 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 貞観4年 18歳で文章生となり,同9年文章得業生に進み,同18年には最高の国家試験である方略試に合格しました。今で言う上級国家公務員試験ですね。当時は勤めるところが大手民間企業など無かったから宮中に入らなければならない,そこで出世するにはこの試験に受からなければならない。ということで大変だったようです。これは唐の科挙(かきょ)という官吏登用試験制度をまねたもののようですが,やはり今と同じで予備校もあったということです。道真公が 後日 その頃を述懐した詩の中に「日月は常に足らなかった。寸分を惜しんで友人と談笑もせず,妻子と親しみもしなかった」と詠っています。そうしてやっと官途につけたわけです。今,受験地獄とか言われますが,当時の方が もっと大変だったのかもわかりません。

菅原道真

道真の文才 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 今まで菅原道真の栄光から失脚までを概論的に述べてきましたがもう少し細かくお話を致します。


 菅原道真の父祖2代にわたって高名な学者であったのですが,菅原道真自身も非常な勉強家でした。それには母の良妻賢母ぶりが伝わっています。道真は是善の第三子でしたが,多分早世したらしく兄たちのことはあまり伝わっていません。昔は医学があまり発達していなかった


ために 若死にすることが多かったようです。道真は一家の期待を込めて育てられ,その母は幼き道真の健康に気を使いながらも 家風を継いで立派な学者になるよう日夜肝胆を砕いたようです。いわば今の教育ママですね。道真は11歳で初めて作詩をしたそうです。作詩といっても 今の詩ではなく漢詩ですよ。

菅原道真

菅原道真の経歴 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 さて菅原道真さんは寛平3年(891)蔵人頭となり,同6年(894)遣唐使に任命されましたが,その廃止を提案し,実施されました。これ以降 遣唐使は廃止になったのです。遣隋使が推古天皇の西暦645年ですから約150年続いていたわけです。この廃止の理由はいろいろ


いわれています.菅原道真が進言したのは貴族の惰弱な面だと主張する人もいるようですが,この遣唐使派遣も前回から56年の歳月が経っていたし(毎年送っていたわけではないのです),途中遭難の恐れも今とは違って大いにあったし,やはり 唐自身の勢力が無くなったのが第一でしょう.ちなみに唐が晋に滅ぼされたのが936年です。


 その後 道真公は 権大納言を経て昌泰2年(899)後醍醐天皇の時 右大臣にまで昇進しました。しかし延喜4年(901)藤原時平のために太宰府に左遷されることになりました。そして菅原道真公の一家は息子達も地方にとばされて 一家離散の憂き目にあいました。


その当時の権力争いは すごいものがあったんでしょうね。しかしそれが故に菅原道真公が有名になり 神にまでなったのです。そのきっかけはまた 偶然の時代背景と重なりがあり,いと おかしきことです。

菅原道真

菅原道真の和歌 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

菅原道真さんは前回もいったように文才に恵まれ,多くの詩歌を残しています。みなさんもご存じの小倉百人一首にも選ばれています。

 

        このたびは ぬさもとりあえず 手向山

                  もみぢのにしき かみのまにまに

                                                             菅 家

 

※このたび・・「この度」と「この旅」の掛詞

 ぬさ・・・・・・(幤帛)神に供えたり祈るときに捧げるお供え物で小さく切った絹布や紙でできたもので 神主さ

んがお払いで振っているのをよく見かけますね。それよりもっと大きなものをイメージして下さい。

 神のまにまに・・神の御心に任せます

菅家・・・・・・・菅原道真の敬称

 

歌意:今度の旅はお供の慌ただしさで幣帛(ぬさ)も用意す

ることができませんでした。ですから,この手向け山のもみじの美しい錦織のようなのを神の御心のままに幣帛としてお受け取りください。


 もみじの美しさが目に映り厳粛なる精神が伝わってくるような感じがしませんか。ところで みなさん 「もみじ」という字は「紅葉」とも「黄葉」とも書けるのをご存じでしたか。ただそれだけの話ですが・・・


 「菅家」菅原道真の尊称です。この歌は宇田上皇の吉野の宮滝御幸に供奉したときのものだそうです。


菅原道真

哀れ,道真さん 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 道真公は太宰府に流されてからは いい生活とはいえませんでした。都の貴族ですから、それなりの待遇はあったと思いますが、それでも憎まれての左遷ですからね。今でしたら、心機一転 がんばれば、戻ってこれることもあり得ますでしょうが,当時の藤原氏の勢力は並大抵ではなかったのです。しかし歴史的に見ると気合いで復活した人もいます。承久の変で隠岐に流された後醍醐天皇も自力で帰ってきて復活したし、現代サラリーマンでも そのような人を私も知っています。もっとも寅さんではないけれど目方や気合いやだけで 男が量れたら 私なんかももっといい暮らしが送れるのでしょうけれども・・・・・・・・・・グスン。

菅原道真

東風の歌 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 春になり 東風の吹く頃、この庭(今住んでいる京にある)の梅の花よ、必ず咲いておくれ、たとえ あるじは太宰府に流されていないとしてもどうか春を忘れないでおくれ、梅が咲けば、その匂いは東風にのって太宰府までとどくであろうから・・・・・・・。


といった感じでしょうか。目をつむってこの詩を詠んでいる情景を思い浮かべてください。広い庭の大きな梅の木と対峙して、道真公が梅の木に語りかけながら(たぶんいろいろな思い出を共有していた梅なんでしょう)政争に負けて如何ともし難い思いを、はかなさを詠んだ


歌です。さらに、この歌は 今いる京と まだ見ぬ不安のいっぱいな太宰府を風で結ぶことによって雄大なスケール感を感じさせる、そんなところも私は好きなのです。

菅原道真

いよいよ左遷:道真 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

さて お話を元に戻して,菅原道真さんですが,この右大臣職は藤原家の牽制のために 宇多天皇が任命したのです。しかし 藤原時平は菅原道真を失脚させようとするのです。


 菅原道真が右大臣になったのは,宇多天皇が理想に思っていた政治ができなくて,次の帝に位を譲るに当たり 藤原氏の牽制の意味がありました。そして899年に右大臣職に就いたのですが,2年後の901年(延喜元年)の正月,先帝を欺き今上天皇を廃して別の天皇を立てる企てを持ったという理由で太宰権帥として左遷が決まりました。この処分は宇田上皇に知らされず,即座に断行されたため,どうしようもなかったようです。後年,様々な人が検証しましたが,確かに,菅原道真の娘が天皇の弟の斉世親王(ときよしんのう)に嫁いではいましたが,どうも そのような気配はなく,無実であったと考えられています。

菅原道真

出る杭は打たれる:道真 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

さて最高の昇進を遂げ,かつ当時の宇多天皇の信頼を一身に受けてきた菅原道真公ですが,当時は藤原氏の力が強く,ぼちぼち出る杭を打ち始めるようになります。 

 菅原道真公は その後 権大納言を経て昌泰2年(899)五十四歳で右大臣となりました。時の左大臣は藤原時平です。これは藤原氏にとっては大変な屈辱だったと思います。藤原鎌足(大化改新)以降,常に政治の最高峰に経ってきた藤原氏と比肩するところに菅原道真がついたのですから,烈火のごとく怒ったと思います。

菅原道真

ご先祖 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

話を元に戻して 野見宿禰は垂仁天皇の皇后の日葉酢媛(ひよすひめ)が崩御されたとき,殉死の禁が発せられると 埴輪をもって殉死に代えることを提案した人です。それによって土師部(はじべ)の姓を賜ったということです。しかし土器の制作と葬礼を司る職なので高級貴族の仲間入りはできなかったようです。しかし桓武天皇の外祖母が土師部出身だったことから幸運が訪れ,やがて菅原,大江,秋篠に分家し 発展したようです。土師部から菅原家への移行のいきさつはよく知りません。どなたか教えてください。

菅原道真

天才的な父親 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

 話を戻して父である菅原是善さんも祖父も文学では有名な方でした。道真さん自身も幼き頃から文才に恵まれ,いろいろな逸話と和歌,著書などを残しています。17歳で文章生(もんじょうしょう),32歳で文章博士となったことからも 学問文才に恵まれた方であったことがわかります。当時の宇多天皇の信任を得て 藤原氏を押さえるために重徴されました。編書として「日本三代実録」「類聚国史」 詩文書「菅家文草」「菅家後集」などが有名です。

菅原道真

道真の両親 【たそがれ 団塊 熟女のおいろけ】

さてさて 道真さんのお父さんは菅原是善,お母さんは伴氏の系列の方のようです。伴氏は大伴の系列です。伴大納言とか,大伴家持など これ又 文学に関係の深い家系です。ところで当時は女性の名前は公式文書にははっきり記載されていなくて,たとえば“右大将道綱母”とは藤原道綱の母といった表現になっており,正式な名前は残っていないそうです。清少納言も清原元輔の娘だったために清原家の少納言といういわば家の中での位置づけが通称となったものです。どうもニックネームが今では正式名称で残っているようですね。


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